The unknown disaster of a collapsing cross
メイプルストーリー、楓サーバーのパラディンのプレイ記、ではない。アラド戦記関連(分館)もあるよ。
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即身仏:枯白地踏
気付けば丸一年以上放置。

それでなくとも別のブログがあるのに加え、最近はツイッターとか言う新ツールが輸入されたので尚のことここに力を割く気概が失せてきている年の瀬。
日常的に分泌されるエッセンスを吸い取る効果を持っているのだから、まとめて格笛尾久との相性の悪さよ。尤も世に両立の例が多々ある以上は、個人の考えを出ないわけだが。

先んじてあけおめ。
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炎天・烈死裁絶
半年振りからの半年振り。月刊誌の刊行ペースも場合によっちゃもう少し早くね?

それはそうと、最近ツイッター初めました。何やかんや実はそんなにいい印象がなかったり、一方情報収集で頼ることもあったりと、まぁ別に複雑とは言えないけどそれなりに一面的な感情を抱える間柄ではなかったわけですが、色々あってやり始めた。別に飽きたりということもなく、現在に至るまで普通に続いてます。まぁなんというか、こういう予感はしていたから若干意識的に避けてたというのはある。自制というのか。まぁ別に死ぬほど律するものかっていうかとそうでもないと思うので、テキトーに呟いてます。ただそれは何かに支障を来したりしたら辞めたいという意味にも取れるが、それほどのめり込んだらそれはそれで辞められない状態だよね。なんだそれ。罠かよ。
一応用途としてはリアル向きなのですが、宣ってる内容ときたらこことそこまで大きく変わるものではありません。まぁ多少本来的な呟きっぽい内容もあるけど。何々したとかそういうの。でも半分くらいは酩酊したような戯言に塗れてる。本当は全部譫言にしたいくらいなんですが、どうやらそうもいかなかったらしい。理想は夢と散る。

これだけだと何なので、記憶という毒について。
記憶という自己を形成する大いなる要素は、身を殺す刃でなく、身を蝕む毒の側面を持つだろう。
或いは意識的に。或いは無意識的に、身の隅々まで浸透しきった病毒である。これは人間を不感症にする刺激物であり、視野狭窄を招く元素である。
一方で、人はこの毒なしに生きようとはまず思わない。この毒こそが今の己を形作っていると信じているからである。己を苦しませるその根源が記憶であるかもしれないのに。矛盾するようであるが、若しくはだからこそ、この毒を決して手放そうとはしないのである。人はこれがどれだけの無価値であるかという事実を知ることはないが、どれだけ価値があるかという点については理解せずとも熟知している。

了。
彼我十一星に告ぐ
なんだ、今年も終わりか。

折角だから去年の話を反故にしちゃうような話をしよう。
麗しい乙女と愛を語らいたいなぁ。
是非夜通し語り合いたい。
情熱的に、かつ腐乱沈殿的に。
愛は囁きたくないです。囁かれたくもないです。
自己愛について語らいたい。他者愛について語らいたい。有形の物に対する愛について語らいたい。無形の物に対する愛を語らいたい。異常性愛について語らいたい。愛憎について語らいたい。愛という字の真ん中に本当に心が入っているのか語らいたい。
そんな願望は異性はおろか同性についても叶えられないのが切ないところ。ではありますが、結局のところ自分がそれを果て無く求めていないのが詰まるところであるのが大元でもある。私の思いは全然狂おしくもない。じゃあ結局、切迫した必要性はないってことだ。まぁ、形もない恋人を追い求める必要性はないのではないかと考えている己があるため、この帰結は宜なるかなって感じでもある。そんなハラ減ったから食い物探すみたいな。順番がおかしいんだよ。
そんな感じで、孤立と孤高を謳った去年とは微妙に食い違う設問について宣ったわけですが、なぁに予定調和だ。
私としては人間の超越に興味はないでもないですが、これやはり人間の枠組みを起点として、そこに則った軌道を描くのと同様のことです。人間として生まれたからには、人間として生きる"べき"、だとか、人間の素晴らしさ、だとか、そういう叫びを発するつもりは毛頭ありませんが、人間として生まれたからには蛆虫だったり、ダークマターだったり、ハスターとして生きるのは無論無理なのです。なればこそ、己の事実について完全完璧的外れな見解を示すわけにはいかない。人間の超越というならば、人の身にして人を超えてみせろ。そういうこと。
まぁつまり何かといえば、人間性という言葉について、私はそれなりの尊重の念を抱いているということです。だからこそ、矛盾して然るべきなのです。友を愛すがいい。そして隙なく裏切れ。己を崇拝するがいい。そして遺憾なく寝首を掻け。
人間は強くない。だからこそ団結する……みたいな涙ぐましい方向性に持って行ってもいいのですが、いやいいわけないんですが、まぁ強くないからこそ矛盾してしまう存在なのです。実力不足であったばかりに食い違う。全てを均すことができない。全てを揃えることができない。行き進めば進むほどに、崩れ綻ぶ。そういうった罅割れが、弱さ故に生じる……というのはどうも腑に落ちないが。矛盾故の強固さについては以前書いた。なればこそ、その起因が弱さであるというのは、少々納得しがたい。なら強さなのか? というとこっちも疑わしいので、"強くなさ"とでもいってお茶を濁しておくのが都合がいいでしょう。どうでもいいけど、猿とか強すぎるよね。人間が知能を伸ばしたのは了解してるけど、なんかすげーパワーダウンしたともいえて微妙な気分だぜ。
そして、そういう整合と矛盾を繰り返す己という、芯は貫徹していたいものですね。それこそ矛盾、なんつって。



「限界を超える」とか、「運命を変える」という言葉がある。
有り触れている。
どうもスッとしない言葉である。限界を超えてお前は何処に行っているんだ。限界の先には何もねーからー限界じゃねーのか。
といっても、漫画とかで限界突破して変わり果てた姿になる主人公とか好きですよ。萌え、じゃなくて燃えますね。そこら辺はなんつーか、公私混同しない的なものじゃないのかな。世の中潔癖症じゃやってけませんよ。厳格主義じゃ息が詰まりますよ。ついでに、そこまで己を律するのは無理すぎますよ。そういった完璧主義って、強迫性という恐怖とセットが常だし。やっぱりそういうこと。
そして、運命。
運命、ね。
運命は変えられないと思います。といってもそう悲嘆を催すものではない。少々の切なさと共に語られるべきものではあると思いますが、絶望とセットにされるほどの大層なものではない。
そもそも、運命は変えられる派としても、生き方が私と変わらないならばそぐう話であるでしょう。うむ、この文章からして人に話したことがないのが見て取れる。俺はひとりずもうでもやってな。
時折、運命はレールに喩えられることがある。"親に敷かれたレール"なんてその最たる言い回しか。そのレールをイメージしよう。今立っているところから、様々な方向にレールが伸びている様を。伸びるレールはまた、途中で様々な方向に分かれ、無数の道筋が見えている。
ここから己の行く道を選びとるのだ。己の生き方次第で、色んな道がある。腐ったレールもあれば、綺麗なレールもある。障害物のあるレールもあり、短いレールも長いレールもある。どのレールを通るかによって、風景も変わるだろう。
……という考え方は出来るのですが、果たしてこれに何の意味があるというのか。なれば、終着まで走って振り返ってみろ。一本道だ。いくら曲がっていようと遠回りしていようと、その筋道は一筆で描けるようになっているはずだ。ということは、選び取ることの出来るほどたくさんあった他のレールは、ただの張りぼてだったということ。他の道を選んだらあったであろう可能性? そんなものは妄想だ。チラ裏にでも書くが良い。パラレルワールドの解釈を持ち出すならば、やはり己の自意識が一つしかない以上無意味。"わたしA"と"わたしB"がいても、この場合わたしは"わたしA"なのである。まぁここらへんでわたし周辺(記号としてのわたしと記号ではないわたしとか……)についての話もできるが、話が逸れる上確実に凄く長くなるのでするわけ無い。もし複数の意識で生きている人(多重人格というわけではなく、複数の身体と意識で)がいるというなら……いや凄いですね。どんな気持ちで生きてるのかそいつの出した本でも読んでみたい。まぁまとめると、運命とは選んだり変えたり出来るものではなく、単なる轍に過ぎない。だから、運命に強制力はない。己の人生に深く根付いてはいるが、同時に語るべき必要性を全くと行っていいほど持たないものである。このあたり、神に近い。絶大な力を持っているようで、いてもいなくても実のところ大差ないのである。
だから運命を悲観する必要はないのだ。悲運に嘆くならば、嘆くのも運命だったというだけのこと。生きているなら、既に運命と仲良しなのだろう。最後まで添い遂げな。いや、離婚届は出せないけどな。


今のうちに言っとこう。新年あけましておめでとう。
Antworten!
とりあえず軽い話題から。

■オーバーキルドレッド
というわけで遅ればせながら人類最強の初恋、買って読み終わりました。
…案の定何年も前に俺がメフィストで読んだアレとは違うじゃねえか!やはりというかなんというか、「人類最強の失敗」の方だったらしい。人類最強の初恋の中に「人類最強の失恋」が収録されてるあたり、なんかニアミスっぽく感じてモヤモヤする。いや実際は半分くらいしかカスってないけど。
いやというかこれ、もう緋色の英雄はどっか行っちゃったってことでいいよね。成層圏突き抜けてスペースデブリなっちゃったってことだよね。初恋が出ちゃった以上、失敗はもう刊行されるかかなーり怪しいってことになるよね…だって哀川潤という題材が被ってるんだし。
くそう零崎常識を出せ!ペリルポイント見てえんだよ!もう辻褄合わせっぽく最強シリーズでも出していいから!殺し名呪い名周辺の設定はほんと好き。半分くらい設定で持ってる設定群だけど、あいつら。なんかすげえ表現になったけど特におかしな点はない。ふんわりした設定を出す一方、具体的には未登場だったり「実際なんかよくわからない」で済まされてる部分が多すぎるという意味で。
さて、というわけで人類最強の初恋についての感想。まぁ、話の内容としては地味っちゃ…地味だな。
ただ、初恋→突如哀川潤のもとに落ちてきた何かによって東京壊滅、そしてそれ(宇宙人)との未知との遭遇、失恋→月で宇宙人とファイト、といった感じで、スケールだけで見ると無茶苦茶でかいんだけど。
登場人物はいつも通りそう多くない一方で、ER3だったり、四神一鏡や殺し名、玖渚機関といった諸々関連の人物で占められており、ある意味豪華。ある人物を除けば初登場の人物だし凄いといっても戯言世界ではまだスケール小さめの凄さの人々であるので、割とこぢんまりした感はなくもない。というか、本編とかで碌に出番のない「大人の世界」がようやく顔を見せ始めたって感じである。殺し名とかは本編後半や零崎シリーズでそれなりに日の目を浴びたけど、玖渚機関とか長年腐らせすぎな設定だろ。肆屍の名は覚えてたけどもうここまで来ると今更感すら覚えなくもない。いやほんとその設定出てから何年経ったのよ。
で、1つ目の話である初恋について。機械で捉えられない一方、見る人にとって魅力的な姿に映るシースルー…紆余曲折あって凄いんだかショボいんだか分からなくなったが、まぁそれは西尾維新特有の口先八丁いつもの話ということでいいとして、シースルーの特性はなんだか示唆的な感じもする。シースルー的な存在は現代にもいるんじゃないか?的な。頑張ればもっともらしい話を作れそうである。でもまともに考える気はないのでこんなところで。
話の流れ的にはシースルーの分析を主としてグダグダ(半分以上褒め言葉)と進んでいったわけですが、起承転結の転の部分が訪れます。シースルーと再びの(降ってきたのも含むなら3度目の)接触を前に、あのヒューレット教授が遂に実際に登場…つってもテレビ電話での会話なので、実際というには語弊が少々あるけど。
クビキリサイクルの序盤で既に名前が出ていたけど、こうして姿を表すのは初。大統領並の権限が与えられてるスーパー超絶天才ということしか語られてませんでしたが、結構頑固系の予定じーさんということが判明しました。まさに、登場に何年かかってんだよ、という感じ。でも、一方で七愚人でも突出した天才というわけだし、逆に言えばまさか登場するとは!って感じでもある。どっちかっていうと霞丘道児とか出るのが順当というか出しそうなもんだが。まぁそこら辺の推測は難しいって感じだろうな。実際こんだけ設定とキャラをばらまいて、その後どういうやり方で選択していくんだろう。まぁ気の赴くままに新キャラを出し、何か引っ掛かりがあったら過去に作った設定やキャラも絡んでくる…くらいか。長いスパンでの伏線回収とか全然考えてないっぽいし。零崎では結果的にはバランスよさげに殺し名呪い名がそれぞれ出たんだけどね。
相変わらず語り口は軽妙。半分くらいそれしかないともいう。戯言シリーズは超常現象とかの許容範囲が分かるんだか分からないんだかって感じだが、今回の宇宙人の登場で、地球規模を飛び出す選択肢が認可されたようだ。スケール的に人類最強専用のアイテムっつーかキャラクターというか、対象って雰囲気だが。
とはいえ、シースルーという宇宙範囲の存在が出てきたからと言って、舞台まで地球規模を飛び出して宇宙に行くとは中々予想外だった。いや、口絵で思いっきり宇宙服じみた服装を潤さんがしてるんだけど。
後半は登場人物がめっきり減って、実質とろみとの夫婦漫才が主流。舞台は月という色々むちゃくちゃっぷり。このような非常に過酷な環境下を想定して物語を進めるとなると、中々結構な専門知識が必要になりそうなもんだけど、そこら辺は人類最強のチートっぷりと謎のスーパーテクノロジーっぷりでカバー。それはカバーといっていいのか。まぁいつもの話だが…その癖マスコンエリアとか、微妙に専門知識を使ってくるところがなんともアレである。やっぱりある程度は現実の知識や現象を引用し立脚した方が説得力もあるし、というのはどうしてもあるんだよな。
ストーンズの正体などについては、うーん、これはこれで地味な気がしてしまう。マジで石が何らかの方法で動いてるって言われてもイマイチ驚かないのが辛いところだが…曲弦糸とか色々あったからなぁ。まぁ基本的に相手が特殊な生物なので困難な面も大きいけど、今回は敵側の魅力は少々弱いとは思う。戯言本編と比べるのはそもそも比較対象として不的確な感じだが。今回の敵はどっちかっていうと、「くらやみ」みたいな舞台装置の側面の強い敵なんだし。
まぁ何にせよ、戯言関連の話をしてくれるのはやはり嬉しい。もうそろそろ過去の遺産って感じじゃね?とかそれぞれのクオリティはどうなの?とか気になる点は毎度出てくるだろうが、しかし戯言という世界を再びチラチラ見せてくれるのは楽しい。かつて強力に魅せられた身であるが故。
でもそれよりもりすかと世界シリーズに終止符が打たれるのを先に見たいというのが変わらない本心です。


■スワスチカ
Dies irae アニメ化決定!
Dies iraeアニメ化プロジェクト応援中!
Dies iraeアニメ化プロジェクト -light-
…といっても最初は単なる「アニメ化企画進行」というもので、先行き未定でした。
Diesといえば厨二ゲーとして真っ先に挙げられる作品の一つであり、いい意味でも悪い意味でも(怒りの日的な意味で)知名度は結構なものです。そりゃFateと比べたらアレだけど。
そんな一大作品である以上、アニメ化という流れになるのは予見出来たこと…ではありますが、一筋縄では行かない。最大の懸念として、随分と時間が経ってることにあります。かの07年版を始めとし、完全版が09年、俺がやったCS版であるAmantes amentesも12年。続編である神咒神威神楽にしたって11年、CS版が13年。神座シリーズ自体は一応終わりだし、作品自体の盛り上がりは一段落、過去の代物と言われたら反論出来ないくらいのモノではある。つまり、今更アニメ化して大丈夫?という状態だったわけ。
そこで持ち上がってきたのが、なんか最近流行ってるんだか流行ってないんだかなクラウドファンディングです。
Dies irae アニメ化プロジェクト UNEEDZONE.jp ユニゾン・ジェーピー
要は寄付を募り、アニメ化するに足る人気(もとい、ブルーレイやグッズに金を出してくれる連中がいるのか)があるのかを確かめ、アニメ化するかどうかなどを決めようというわけです。
まぁなんかもう若干過去の作品と化していたのにアニメ化した作品といえば、まぁリトバスが思い浮かびます。アニメの放送が12年。一方ゲームは最初が07年、08年にエクスタシー、09年、10年、12年、13年とCS化…いや、改めて見ると何回発売してんだよ。あんまり言いたかないが曲芸という言葉もちょっと思い浮かぶ。というかこんだけ休みなく発売してるんだったら、終わったコンテンツと評するのは微妙なんだろうか…でも、12年の時点でアニメ化するのはちょい遅い感は強い。時期的にはエクスタシーの翌年、09年くらいがベストだよな、多分。色々不安な声も多い中始まったと記憶しておりますが、結果的にJCが頑張って中々の出来っぽかったし、やはりあんま言いたかないが売上の方も悪くなかった模様。まぁ俺は数話しか見てないんだけど、いや、見たいとは思ってるけど、一方共通√のつまらなさは一般的な理解でもあるし…そのうちリフレインだけでも見ようかなぁ。更に言うならば、沙耶√は気になる。
さて、クラウドファンディングの目標額として設定されたのは3000万。これがクラウドファンディングとしてどれくらいのレベルの額なのかは不明だけど、まぁ普通に考えて易易と集まる額ではない。まぁDiesの人気は高いし、金を喜んで落としてくれそうな婦女子層(もとい腐)も多くついてるゲームであるし、約2ヶ月間という期間も鑑みれば達成される可能性は充分にある…と個人的には見込んでいました。世間…というか本スレの話ですが、これに対する見方としては、いや無理だろうという声もあれば、意外と数週間から1ヶ月くらいで達成されるんじゃないか?という声もあり、かなりバラバラ。そもそもアニメ化ということ自体に対して前々からずっと不安視されてたので、そこら辺の考え方は様々でした。折角だからこれを機に映像化する獣殿を見たい!という人もいれば、07もあるしそもそもエロゲーアニメ化が地雷
+しかも題材からして厳しいからアニメ化しない方がいい、という人もあり。俺としては、そもそもアニメ化の賛否についてはかなり複雑なところ。Diesがもっと有名になってほしいという気持ちはある。が、アニメの伝染力とかでにわかがグッと増えるのもなぁ…という思いもある。まぁこれは燃えゲーとして知名度があるDies的には今更かもしれんが…うん。あとはやっぱりクオリティ。初めて映像を見て喜びよりガッカリする肩透かし感が強かったら、もう終わりだ。2度同じ作品をアニメ化するなんて、まず絶対無いし。HELLSINGとかいう特例は除く。まぁ、そう、OVA版HELLSINGクラスのクオリティで作ってくれるならもう喜んで尻尾を振ってアニメ化に賛成しよう。Amantes amentesのOP映像くらいのアニメなら、無理にやらなくてもいい。そんな気持ちでした。
で、5月9日に開始されたクラウドファンディングがどうなったかといえば。
電撃 - 『Dies irae』アニメ化確定か。1日かからずに3000万を集め達成
まさかまさかの、24時間経つ前に目標を達成。勿論実際は入金手続きがあるので厳密には4日かかったことになりますが、とはいえスーパー超絶速い。誰がここまでの速さを想定したであろうか。何処かに白騎士がいるな!?
支援額は手数料を除いて3000円から始まり、最高は100万円です。ちなみに寄付と言っても「見返りのある寄付」であり、それぞれ支援額に応じたリターンが用意されています。3000円は爪牙認定証+アニメ化記念小冊子+クラウドファンディング会員特別回といった感じですが、100万はそれらに加えて下位支援額の諸々+lightスタッフと行く温泉ツアーという、なんだか誰得っぽい雰囲気も漂う代物。が、これも即日埋まりました。すげー。100万ポンッと出せるって、スゲー金持ちなのか、それともDies愛が溢れすぎてて100万を捻出しちゃう人なのかどっちなのか。ただまぁこの温泉ツアー、シナリオの正田卿とイラストのGユウスケも勿論着いてきて、更にユウスケに好きな絵を描いて貰えるというので、ある意味ファン垂涎の企画ではあります。とはいえ、俺だって作品は好きだけど、かといってスタッフに愛着が湧くほどじゃないからなぁ…そりゃ正田卿もツイッターやったりはしてるが、しかしどうしてもその仕事が仕事な故、アイドルや声優みたいな感じにはならないだろうがなぁ…まぁ、恐らくそういうことも承知しつつ、しかしそれでも100万を出したいと欲するまでの愛に溢れた人なのだろう。オソロシヤ。
恐るべき快挙に各所でも幾らか話題になってるのが伺えます。中々に憎しなアフィブログも、この日ばかりは情報の伝達性という意味でプラスの効果を発揮してくれるでしょう。実際アニメ始まったらまた噂も聞きたくなくなるけどな。めんどくさい。
さて、ここで少しを比較してみましょう。最近あったエヴァのロンギヌスを月に刺すプロジェクト
ロンギヌスの槍、38日間で3538万円集まる 日本のクラウドファンディング史上最高額 | ORICON STYLE
これは38日で3538万。これが当時クラウドファンディグ史上最高額を記録したようですが、Diesは入金考えても4日で3000万。これもう記録を残さない道理がないレベルの凄さです。ちなみにエヴァのクラウドファンディングは、66日の期間中に5000万を超える額を集めたものの、結果的に目標の1億には及ばず失敗したようです。
企画自体が割と誰得っぽい感じなので純粋な比較対象として出すには微妙ですが、それでも日本に広くファンを持つエヴァ。見たことある人も多いし、見たことないけどとりあえずカラオケで残酷な天使のテーゼや魂のルフランを歌う人も多数なエヴァ。知名度というプラス点と、企画内容のマイナス面をどう判断するかは難しいところですが、しかしいずれにせよこの企画が一つの記録を達成した以上、Diesの凄さが分かりそうなもんです。いや、エヴァを超えるとかエヴァに並ぶとかそういうアホな話ではなく、いちエロゲーにこれだけのファンがいたのか!とか、アニメ化と聞いてこれだけの金を出す爪牙がいるのか!という驚きの意味で。
この記事を書いてる時点でそろそろ残り1ヶ月となる辺りですが、既に5000万を超えています。どう考えてもエヴァの額超えるぞ。スゲェなぁ。ただこの賞賛は、どっちかというと「Diesでこれならエヴァアニメ化とか(企画として成立しないが)だったら、余裕で1億集まるんじゃなかろうか」という思いが強かったりする。エヴァファンはそりゃ多いし熱狂的な人だってたくさんいるけど、でもロンギヌスを月に刺したいって人がどれだけいるのか。Diesでいうなら、獣殿のロンギヌスランゼテスタメントを月に刺そうって感じだろ?あれ?Diesに置き換えても成立するぞ?

さて、アニメ化については賛否蟠る感じだったが、ここまで来たからにはもう止まるわけには行かない。願わくば、充分なクオリティのアニメ化がされんことを希おう!
まだまだ決まってないことは多いけど、とりあえず声優変更は基本なし+OPは多分ゆいにゃん というあたりは期待度高めてくれる。制作はufoとかだったら楽しげだが…まぁ無理は言わんよ。エフェクトとか戦闘上手く出来ることがやることを祈る。
というか、そもそも一体どういう形式になるか?というのも大事。OVA→TVアニメ1クール→TVアニメ2クールと段階があるけど、とりあえずOVAじゃなくてTVアニメにはなるはず。ただ、1クールと2クールの分かれ目はどうなんだっけ?忘れてしまった。まぁ1クールでやるのは無理すぎると思うので、やるなら絶対2クールにして欲しい。時間はかかっても構わない。中途半端なクオリティで来年やられるくらいなら、あと3年4年経って壮麗な出来を見るほうが望ましい。
しかしまぁ、問題は実際どうこの作品をアニメにするかってことだよなぁ。まず第一にのしかかるのは、規制の波。ナチスの話だし。ただまぁ、これについてはCS版があるし、そこまで不安視はしていない。スワスチカとか必須ワードまで規制されるならヤバイけど。話の内容はハードなんだから、淫売とか規制ワードあった方が雰囲気にあうとは思うんだけど、まぁCS版やった俺としては特に言いようはない。でもまぁモルゲンだっけ?Verfaulen segenだっけ?ザミエルが淫売言ってたけどね。文章では削除されてたので、ボイスの削除し漏れっぽいけど。
そして最大の懸念点が、そもそもあの話をいかにして映像化するかということ。地の文パートがとにかく多く、またその文章が与える雰囲気構成力とか、そういう諸々考えると映像化すると色々変わりすぎるというのが当然の帰結。ていうか、地の文で行ってる説明や、お互いの心情・信条の説明…もとい口喧嘩パートにも大きな影響があるので心配。ここがDiesの多種の設定を説明する部分であり、またキャラの魅力を増したり説得力をつけるパートであるのに。マキナの能力説明とかどうするんだろう。具体的にどんな感じだったか若干記憶があやふやだけど、マキナ本人が「…一撃だ」とか言って説明してないよな。かといってザミエルみたいに説明なしに通る能力じゃない。傍目から見たらただのパンチだよ。緊迫感全然ないよ。
最悪メルクリウスが逐一説明挟むという裏技も使えないことはないと思うが…凄いウザそうな上テンポは破綻しそうだ。難しいなぁ。仮に上手く出来たとしても、多かれ少なかれキャラの厚みは減らざるを得ないだろうし、こうやって具体的に考えるとアニメ化って複雑な思いを抱かざるを得ないなぁ。難しい。
ちなみにアニメ化に際してストーリーはマリィルート準拠で、若干他の要素も入れるとかなんとか。ベアトリスとかそこら辺?鈴とかの話も加えられると聞いた。まぁ、主人公とラスボスが戦うというオチだし、内容的にも王道。これ一択でしょう。順番的には香純√から順々に世界観を把握していき、ってのが理想ではあるが…無論そんなの無理だし。でもアホタル√はちょっとありなんじゃねえかなって感じはする。ぶっちゃけ普通の作品だったら大隊長クラスの能力でラスボス張れるし。一応獣殿は出てくるし、螢は相対する。その後のスケルツォや屑兄さんも熱いし。ただ、まぁその後のアフターの内容となると分からんが…聞く話ではメチャクチャ面白そうだが。どうせからこの機会に書いてくれたりしたら面白そうだが。マリィ死んで水銀ブチギレ永劫回帰だっけ。
先輩√のベイvsアルベドや蓮vs三騎士の絶望感、蓮vs司狼の喧嘩、そして獣殿と水銀の宇宙戦争も見たいっちゃ見たいですが、色々先輩√自体が特殊だしぶっ飛んでるので。超新星爆発とかもヤバすぎですが、そもそも形成シュライバーからして既に色々おかしいのがDiesだし。
取り敢えず楽しみなことの一つは、シュピーネさんの「ジークハイルヴィクトーーーーリア!!」です。あのハイテンションな声を地上波で聞きたい。ぶっちゃけあの辺りは正統派なバトルストーリーの範疇だし。三騎士からスケールが一般的な範囲を飛び出し始める。
はてさて、しかし幾ら集まるのかね、これ。1億はないと思うけど、もうちょい伸びるはずだぞ。


■Sequel&Reflection
アレの話。
前回触れたり触れたような気がした私の自尊心についてだが、私の自尊心の構造を一言で言い表すとするなら、それは妄執である。
どうでもいいけど、自尊心って言うと「尊大な羞恥心と臆病な自尊心」を思い出すよね。あの言葉は誰しも耳に痛く感じたのではなかろうか。まぁそれはいいとして。
健全な自尊心、誇り、信条、軸…そういったものは、ある根拠を元にして成立し、またそれのおかげで発する力により再び根拠に強固性を与え、また力を発揮する。正のループである。
妄執はそうではない。根拠はあるが、その根拠は壊れた根拠である。通常は力を発揮しない流れであるが、特殊な回路によって仮初の力を振るうに至る。そして力から根拠へのフィードバックだが、この場合は一見行われているように見えて素通りしている。つまり、力が力を生み出す理由となるという、論理矛盾。本来は無限後退となり廃棄される運命にある円環だが、回路によって生きている。
もうちょい具体的な比喩を使ってみよう。例えばアザトースは「盲目白痴の神」、デミウルゴスは「無知蒙昧の神」と神にしては酷い呼ばれ方をしているが、ここで考え方を変え、"このよう"であるからこそ神である適格を得ているのだと考えられないだろうか。いや両方とも理由あってこういう呼ばれ方をしている以上、だから適格ですもクソもねーよなんだが。実際、火の神、水の神と来てバカの神!とかだったら嫌すぎる。誰が信仰してくれるんだよそいつ。
もうちょっと分かりやすそうな説明をしてみよう。正直回路を短く繋ぐ努力をしすぎて、原初を忘れてるというか、思考回路が壊れてる気がする。でもまぁ、力を壊れた根拠に直接繋いでも作動はしないので。力を力に繋ぐしかないのだよ。
これは、前回の記事でも触れた女性から聞いたことである。自己愛について。まず、己の中に劣等感がある。自らは劣っている。いや、しかし。"だからこそ"。劣っているが故に他人からの愛を期待し難い以上、自身こそが自らを愛さなければならないと。いや、"むしろ"。己の瑕疵すらも己の歴とした一部であり、その欠点すらも含めて自分という作品であると言えると。愛すべき作品であると言えると。
ある意味でポジティヴ・シンキングに相違ない。私はここから更に一歩進めて(彼女がここから先について考えていたか、または何を思っていたかは知る由もないが)、愛すべき作品であるが故に、それは優れていると言えると。何故ならば愛されるということは何かしらの優れた点があると推測出来るし、また愛されているということはそれだけでそうでない状態より優れているとは言えまいか?よってここに己の劣等性と優越性が同居する。では後は回路を繋ぐだけである。劣っている、――が故に優れている。はい、完成。
この回路はチラ見しただけで分かる愚挙であるが、別に何もこの回路が問題ばかりというわけではない。問題は導線から始まる根深さだが、まぁ細かい点に目を向けなければ長所もそれなりに目立つ。それは根拠のないことである。
妄信であり盲信であるが故に根拠はない。火事は火がなければ起こらない。風がなければ看板は倒れない。細菌やウィルスがいなければ病に倒れることもない。レアな例とか抜きにして、まぁそういう感じであることは間違いない。つまり根拠のない力は全く持って無闇であるが、無闇であるが故に、折れづらく、また何処からでも力を得ることが出来るはずである。限りなく影響を受けづらい回路を作ろうと思ったら、根拠を排除すべきである。尤も、この極限まで単純化された回路は色々省かれすぎたが故になんで巡っているかよく分からん状態に陥るが故に、関係のない理由から、思いも寄らない遠因から機能不全を起こす可能性を本来抱えていることも注意しなければならないはずである。
そういえば触れないわけにはいかないであろう、この劣等→優越の構造におけるソクラテス的一面について。かの有名なエピソードに近いものがある一面について。あれです、「知は力なり」ですね(今年度最大のボケ)。まぁアレに関する、そういった一面が全くないとも言えないが、ただまぁ誰しも自分が神だとか思ってるわけはなく(前回言ってなかったっけだって?アレとコレは別の性質というわけで)、つまりは多かれ少なかれ劣等感は誰にだってある。一歩先んじるのは不可能である。ただ、誰彼には秘匿された己の劣等感を知っているということは、それは尊いことであるというのは付け加えておく。
しかし称し方が安定してないけど、一体なんと呼ぶのがいいのだろう。輪、回路、系。閉鎖循環系とでも言うのが色々総合してていい感じだろうか。どうでもいいけど開放循環系ってなんか言葉だけ聞くと恐ろしいよね。


■敵と味方
最近たまに殺人鬼とか食人鬼とかそういう陰惨な記録を漁ることがある。その常軌を逸した残酷な行為を認知して心に思うのは、その痛ましさに胸を痛めるのと(実に胡散臭い物言いだが、意図的なものである。この感想自体ははマジで本当とは言うには憚られるが、だが決して嘘ではない)、ヒトの恐ろしさである。恐ろしさ?何が恐ろしいのだ?
誰かに殺されること?そのことは了解している…というと真っ赤っ赤な嘘だが、どっちかといえば実際的な恐怖として片付けられる。ではそうでない恐怖とは?己がそうなる可能性の危惧についてである。
反対のことを言うようでなんだが、別に私は異常性向とか性癖とかに満ち満ちてはいない。小動物を殺す習慣とかないし、女性恐怖症とかないし、カニバリズムへの憧れもないし、生い立ちの大きな欠けもない。それどころか暴力については否定的な傾向があるし、血も忌避の対象である。殺意の種が芽を出すまで成長した覚えもない。特に殺人を犯す要因は見当たらない――"だが"、"だからこそ"。
人がアホみたいな理由でつい、うっかり人を殺しちゃうのは周知の事実である。温厚で優しかったあの人が――そう語られるのはまぁどっちかといえば被害者側だが、加害者について語られるのだって超レアな事象ってわけじゃあるまい。人は人を殺しうる。周到な計画の上で、自覚的にきっちり人を殺す例も多々ある中、「そんなつもりはなかった」というパターンも有り触れている。人は死ぬ。非常に残念なことに、残機を貯めておくということは出来ないようだ。出来るならば、幼少のうちに99機貯めてからコースクリアを目指したいものなのだが。
私が、ある日、突発的に。あるいは徐々に変質し。何か衝撃的な出来事に際して。手が滑って。感情的に。人を殺さない可能性は、ないでもない。物理的な面はまぁいいとしよう。道路を歩けば交通事故に遭う可能性があるようなもんだ。一方、心理的な面が着目すべき恐怖を持っている。私の中に殺人鬼はいないか。要は、そういうことである。
…これはまぁ私の中の未知なる一面、その一例に過ぎないだろう。だが、こうしたことから思わざるを得ない事柄がある。私は、私が知り得る以上の何かを孕んでいる。それは気にしないでいいものなのか?実際、些細なのか重要なのかは知るまで知る由もないが、関心を持たずにはいられない事柄だろう。視界の端で何かが動いたら、そちらに振り向かざるを得ないように。ある意味で脅迫的な関心事である己とは何者なのか?また、貴様とは何者なのか?
私が気にかけていることの1つは、シンプルに言い表すならばこうなるだろう。巷に溢れ、つまらぬ、下らぬ感傷である。だが脅迫的な感傷であるが故――俺に責はない。
ここでその手段として用いられるのが、思索である。基本にして応用。条件に縛られづらく、非常に手軽さがあるのが魅力である。
一方、これだけで己を開拓するのは少々無理がある。そこで他人を頼るのである。私を見る周囲の目は間違いなく、あまりにも愚かであるが、ときどき鋭いのである。他人の眼球を鏡にして自分の顔を見れるように、他人という反射体を通して自らを見るのである。自分という異様で怪奇な何かを、見通し、瞭然とさせるために。
だが、この企みは中々上手くいかないというのが実情である。私が怠惰なのも理由の一端ではあると思うが、根本的なすれ違いがあることを、誤解と看做すことは出来ない。
ここで引用。
>>挨拶は威嚇
泥棒がうろちょろしてる時に地域住民に挨拶されるとビビる…という話と合致するけどまぁそれはそれで何もそういう理論づけじゃなくて真っ当に説明しても成り立つだろうから放っといて、拡張して触れ合いは戦争とでも言っておこう。そして、先述の話を絡めて。
内面を見抜く鋭い眼差し。――身を裂く鋭利な眼差し。
心に響く言葉。――身を震わせ、精神を書き換える言葉。
温かい融和とは。破綻と崩壊であり、他人という人の気持ち悪い温かさを感じてしまうこと。
あまり好例が思い浮かばなかったので後半テキトーだが、まぁ他人の内面を探ることは暴力と成り得るということである。各々の心境を吐露しあう場など、最早抉り合いの殺戮場である。
無論探られたくない腹があるから、というのが一つの理由として挙がるのだから当たり前だが。しかし、誰も彼もが皆、そう大層なものを抱えているとは思えない。自分の未知なる面も含むのだから、微妙な言い方だが…いや、抱えているということが、大層なものになるというパターンか?人の心は覗けないのでこれ以上の推測は不能だ。
人間は他人なしに生きてはいけない。一方で他人が忌避の対象となり、これは両立するのである。関わらずにはいられないが、それ以上の踏み込みは拒絶してしまう――そうして真の理解を得られることはない。ヤマアラシのジレンマなんて言葉が思い浮かびそうになるが、これとは若干食い違ってる感じだな。当て嵌まるなら詩的で素敵なんだけどね。詩的はいいよ、ロマンティックで。そして嘘くさいあたりがとってもいい。
さて、こうした論理に準じるならば私は百年に一度の外敵を求めていることになるのか。はてさて、それとも愛し合う運命の恋人を求めていることになるのか。答えは、出すまでもなし。


しかし我ながら内容の矮小さの割に実に面倒くさい書き方をするものだとたまに思うわけですが、まぁ全く意味がないわけではない。
意味のある理由が一つ、無意味な理由が一つ。
前者は、言わばドレスコードのようなものである。私が語ることはただの一つの論と言えば論だが、一種の吐露でもある。つまり、ただの文章として記述されるのは不十分であり、私に沿った書かれ方をされなければならない。例えるならば、緑茶を飲むのに洋風のティーカップは合わないので、和風の湯呑みをわざわざ選択するとか、そういう感じ。
後者は、そうすることで意味深長に見えること。まぁ結局中身は一つ目の理由と同じようなもんだが。
実に張りぼてであり、危うい屹立をしているわけだが、ある意味それが大切なのである。どうせ放っておいたら地に倒れて泥に塗れる運命だ。仮初の勇姿を与えてやろう。
英雄像に陶酔するのは程々に、という話もあるが…取り敢えず、これ以上私にとっていい生き方は分からない。その蟠りを晴らしておきたいというのも一つあるのだが…


それにしても、
>>これだけ色々書いたけどさあ、こんなこと考えながら生活してないし、生活したくもねえわ。
この記事の最後にこの文章を引用させてもらっても違和感ないのが喜ばしいんだか悲しいんだか。いや考えながら生活はして…してるのか?うーんどうだろう。
避けがたい上、下手に避けようとするとむしろ深みに嵌まるその厄介さ。
つくづく思うけど、哲学者ってマゾすぎだろ。
違和と不和と融和
己について私以外の誰かはどう思うだろうか?快活?まめ?おっちょこちょい?躁鬱?
まぁそんなのはどうでもいいのだが、大事なのは自他を峻別する要素である。
なんか前にも書いた気がしてならないが、私は異質であり、異様であり、異端でありたいと願う人間である。そのことを少々掘り下げてみるとしよう。
ではまずは実際のところどうなの?という問題である。これが単純明快っぽい雰囲気なのに非常にめんどくさい。何故なら至極当然、人の頭の中は覗けないからである。腹に何を抱えて喋ってるかは分かったもんじゃない。まぁ何も日々そんな殺伐とした見方で生きてるわけじゃないけど、でも実際人に言わない何かしかを抱え持ってるのは誰しも多かれ少なかれあるだろう。その程度や質が相当重要なのが問題だが、まぁそれはおいといてそのことが確かにあるという事実くらいは軽く推察可能である。
だが、中々それを表に出すことはない。それはただ単に出すのがやましいことであったり、出すのに相応しい状況や相手でなかったりとか、まぁそんな感じなんでしょう。突然いい加減な考察になったけど、だって他人の心中なんて知りませんしね。
だからそれは恐るべき憎しみであったり、楽しげな変態性であったり、未知なる一面性であったり。まぁそういうこともあるだろうという前置きを先にしておいて、そして先んじて言っておくが、そんなのはどうでもいい話だ。皆、現実的な話が好きだが、残念ながら非現実的な話をするべきである。
じゃあ一体私が人の中で秘匿されたもので、何を重視しようとしているのかといえば、まぁアレである。「コレ」である。こういう話である。益体もないというのと同時に、深淵を垣間見る話である。
そんな重要視している話ならば身を持って打ち出していけばいいじゃん、って感じになるが、非常に残念なことに話が噛み合う例は少ない。というか、基本的に私は他人と根本的に十分に《融和》しているとはいえない。《違和》である。本質的に、ラディカルに、なんだかすれ違っている。別に友達は常にいたっちゃいたし、交友は人並みにあったと自負はしている。一方で、素直な人付き合いというのは実は金輪際した覚えがないんじゃないかという気さえしないでもない。いやぁさすがにそれは言い過ぎだと思うけど、まぁ感覚として。相容れないという表現を使うにしても、別に水と油とまでは言わない。そこまで急進派じゃない。常識は知れど常識には生きず、くらいのニュアンスだから。常識?何それ食えるのもぐもぐみたいなのじゃないから。カニバリズムご勘弁。後述するように俺の中身には壮大な見方をしているけど、まぁ一方で客観的には小市民だから、
話を戻して、どうも一枚皮を被って他人との交際をしている感覚というのがある。それこそすっぽんぽんの素で誰彼と交流をするなんて神様でも無理だし、それなりに歴も重ねてるので慣れた事柄ではあるが、拭えない実感はある。いや、別に誰とだってその実感を抱くわけじゃない。そりゃコンビニの店員で素で話しかけたらあらゆる意味で意味不明すぎる。
ただ、そういった事務的な面に留まらない関係、まぁ有り体に言っちゃえば友達とかそういうちょい強めの繋がりがある人々と、まるで上辺のような情報にしかならない会話を繰り返すのは何故なのか。今日こういうことがあった、昨日こういうことがあった。まぁそういった雑談に全く意味がないとはまさか言わないが、一方でいつまでそれだけで続けるつもりなのだ?と思う。一体お前は何なんだ?この世に疑問を抱く事柄は存在しないのか?考えたことはないのか?そういう疑問である。
無論、そういった話題を投げかけたことがないわけではない。まさか真っ昼間のふとした瞬間に一般人相手にそんな話題を沸騰させられる程俺もよく出来た人間ではないので、まぁ夜のテンションに乗じるわけだが、正直そこまで芳しい反応に巡り会えたことはない。まぁ基本的に実際とは想定を下回ってナンボのものだし、期待するだけ無駄って感じもするが。例えば誰かと遊ぶ時も、実際遊ぶよりもその想像なり妄想をしている時のほうが楽しいんだし。とはいえじゃあ何かする妄想だけして実際何もしないでただ生きていくことができるかって言うと、全部が全部そうはいかないのが実情。勿論程度の差はあるが。
さて、話題を投げかけた時の話をしよう。まぁ全くもって理解できない、というか何を言っているかそもそも分からない、という論外レベルの反応は一応なかった。それなりに理解を示されることもあった。が、如何せん足りない。まぁまぁ楽しくはあったが、だが一方でやはり噛み合ってるとはいえない。触れ合えはしたが。話は通じたが、心は通じてない的な。クサイけど。まぁ話が通じるというだけで、よっぽどマシなのかもしれない…俺が徹頭徹尾の異常者でないことが分かるし。異端に憧れると言っても、それは困るのである。私は強者ではないのだから。
手応えがなかったわけじゃないが、フルスイングの実感は得られないというのが結論。やはりすれ違っている感覚は拭えない…満たされない。
一方で、異質であれ、異様であれ、異端であれ、そのようにかくあるべしと銘を刻む私にとって、心が通じるというのはある意味で恐怖と言える。《違和》は気持ち悪さを生む要因となり得るが、同時に確固たる峻別を示唆する。《融和》とはおぞましき吐き気を催す愉楽であり、また至高のエクスタシーである。極限であり終極。仮にそれを迎えたらどうなってしまうのか…興味と共にあるのは恐怖でしかない。まぁ私のような暗黒の徒と同化する彼の者達のことを考えると些か同情の念を抱くけど。
そして、大体の流れで察して頂けると思うが、根本的に見ると人々との交流は没交渉気味なのは否めない。同時に深遠な営みをアプローチすることを考えているのだから、中々にたちが悪い。
とはいえ決して短くはない年月。『同類』とでも言うべき香りを持つ者に出会ったことがないわけではない。尤も、確証を得るまでに知っているのは数人レベルだが…つまりそれは、安心し、同時にこの上なく警戒すべき人々は数人しかいないということである。
まず昔に。まだ主に年と地域以外で分別されていない頃。今思えばその香りを持つ者はいた。だが、そもそも私自身の感性が不十分だったことで曖昧としている。とはいえ感性というと少々誤謬を感じさせる。同じ根は過去から既に持っていたと信じているからである…今との差は、肉付けと、そして凝り固まったことにある。まだ形状たる形状を持っていなかったのが当時…であろうか。結局自分の気持ちなど長くは持つものでない以上、今となっては『よくわかんねー』のも一つの真実であるが。さて、形状を持っていなかったとはいえ、素養はあったと言えるのが当時…と、仮定する。同族とも言うべき雰囲気を感じ取れるものは今思えばいたが、ただそれはテンポとか物の見方がそんな感じというだけで、果たしてただの妙な奴とかマイペースなだけなのかは判別出来ない。異端であるのは一つの証左になり得るが、素養と呼ぶには足りない、てゆーか別物である。
時を進めてそれ以降。基本的に同じ香りに巡り合ったことはなかったが…1人、今までで最も近しい者を見つけた。性別が違うので些かその雰囲気は異なるところはあるが…が、素養もある。そして最も恐るべき点としては、全くもって驚嘆すべきほどに噛み合うのである。山といえば川、ならぬ山といえば山である。いや、性質を考えれば山といえば川の方が合致しているかもしれない。ただ、言ってることは噛み合ってる、同じである、ってことを考えるとやはり山といえば山か。翻って世の中、山といえば「ん?山登りにでもいくの?」とかいうのばっかりである。ちょっと嫌になることがあるのもお分かり頂けるのだろうか。
しかし本当に驚きと興奮があった。鏡を見ているよう…というのは言い過ぎが過ぎ過ぎだが、なんかそういう比喩を用いるのもありなくらいの感覚を一種味わった。ここで最も注目すべき点として、異性というのが挙げられる。誰もが知ってるように、性差というのはあらゆる点に張り巡らされている。ジェンダーとかそういうのを持ち出すまでもないところにも、当然。だからこそ、異性で同種に出会うのは、相当な驚きだった。というか驚きもあるけど、その次くらいにヤバイんじゃね?って思った。同種を出会ったら、まず確実に相手方の心配をする必要性のある出来事なのに、しかも異性って。大丈夫かよ。ブーメランして素晴らしい自虐ですが、実際これを覆す余地のない事実なので。分かりやすく例えると「いやー確かに俺はギャンブラーとして生計を立ててるけど…正直ギャンブラーになるのやめたほうがいいよ?」的なアレ。いやギャンブラーのこと特に知らないけど。多分そんな感じ。
まぁ同種に出会ったのはいいが…ていうか種というか、私本人と同位相ってゆーか、よりもっと厳密な位置にあるっていうか、それほどに近似しているように感じるその人ならば、「近すぎる形の人がいるのは恐怖に値する。もし自分と全く同じ存在がいたら?という仮定に対し、私は『彼(彼女)を殺して抹消する必要がある』という答えを持つ故に、同じ存在に近づくことは許しがたい側面を持つ」「そもそも自分で完結させられる以上、他人を求めない」という論を持っているであろうからである…後者については、度々述べてきたように、反対の、言わば磁石のように吸着する側面を持ってることも否めないわけだが。
じゃあ聞いて確かめてみればよかったんじゃね?というのが至極自然な流れだが、実はまともに話したのは1,2回ほどなのである…いずれまた機会があれば喜ばしいが、はてさて。先述の如く他人を求めない一面もあるので、やはり特に再びの邂逅もなく過ぎ去っても全然問題ないとも言えるのが悩ましい辺りだが。とはいえここまでの逸材…逸材と言おう、敢えて。逸材との交流を捨て去るのはちょっと勿体ないと思ってるのも事実だ…でもやっぱり積極的に他人を求めはしないが、可能性の一つとして心に留めておくに足り得る出来事だったろう。
ちなみに自己愛について語らったりした。面白かった。
他にも同族と思われる者はいるが…まぁ書くまでもないんじゃね。この手の奴に自覚症状があるかどうかってある意味大事だよね。まぁ性質上、自覚症状無しに陥ってる奴はただの、純粋な意味で頭おかしい人な気がするが…コンビニの店員に語ったりしちゃうのか?
しかしこういうことあると、世の中捨てたもんじゃないとか、期待しちゃうよね、ははは、なんて困った世界なんだ。勘弁してくれよ。

ここでもう1つ話をしよう。別の話題を俎上に載せよう。
こういう話をするのは劣等感が先立つ、劣等感がベースを成している、もとい一助である…ってのは言ったっけ?まぁそんな感じだが、さてとなると私自身は劣等感に満ち満ちていると言えるかもしれない。
ここで、果たして私は他より優れていると感じるか、劣っていると感じるかである。答えは明瞭である…劣っている。そして、それが故に唯一であり、また優れているといえる。
これは実際的に優れているわけではない。劣等であるが故に、それが理由で、優れているのである。
また、私は私の中で、私にとって、神である。これは勿論比喩的な意味も持つが…まぁ一般的な意味での神と同じとしても構わない。神を見るときに、上を見るか、中を見るかというだけの差である。
というとスーパー傲慢に見えるが、実際そうでもない。私という神は私の中で完結しているのであり、外の世界には何ら影響を及ぼすことが出来ない。私にとって外界は神に劣る世界であるが、しかしだからといって何かを出来るわけではない以上、結局それが具体的な行動を伴うことは決してない。逆に外界に広まれば薄まるしかないし、中で完結しているからこその神話ということである。私は神であり、私にとって神であり、そして私にとっての神である。この神とは最も近しい友人であり、また己自身であり、そして最も友好的な生涯の仇敵である。この輪は回り続けるしかない。そして輪ということは、閉じているのである。輪が開いた時、それは大いなる伸長であるが、輪という世界の崩壊である。大変革である。いやぁ実際なったことないので憶測だけどね。オピニオン。

もう1つくらい書きたいことあったけど、よくよく考えたらあまり良い話じゃなかったしこれくらいか…?
あ、《不和》について触れてない。…のだけど、《不和》って結構並大抵のことじゃないんじゃないの、実際。私は至って平和主義であるし(無論楽しい騒乱が好物であるということには異論を挟めないけど)、絶対的《不和》は語れるようなしっかりした材料がない気がする。やはり的確な言い表しとしては《違和》に優るものはなかろう。え?じゃあどういう考えでこのタイトルにしたかって?記事を書くときはまぁ後でタイトルつける場合と(私の場合は半分以上こっちになる、多分)、先にタイトルつける場合があるけど、これは先につけたパターン。つまり、何かしらの含むところというか思いがあってつけたはずだが…いやまぁ何も考えずに語感でつける場合もあるけど、今回は含みがあった。あー何だったかね。忘れちゃったぜ。不和…不和かぁ。うーん。違和を融和と不和に部分分解すれば、そりゃ不和もあるけどさぁ。でもなぁ。うーん。まぁ人の思いなんてそんなものってことで。ちゃんちゃん。

こめへん
>>聖徳
買うモノ決めはこの上なくめんどくさいけど楽しい。粗方決まってるのにまだ買えてないが…
規模にもよるけど店舗よりもネットの方が選択肢圧倒的にあっていいけど、キーボードだけは店舗買いの方が遥かに安定かもなぁ。直に触る機会が多い部分はネット購入は失敗するリスクが高めってのは日用品にも言えるように、PCに限らない基本でもあるしなぁ…キー配置とかは写真見ればわかるけど。
世の中ゲームに溢れすぎてて、時間が無限に必要なんじゃねーか?としばしば思う。しかし、課金要素はあるけど課金しなくても出来るゲーム含め、世の中フリーなゲームがほんとたくさんあるよなぁ…よくこんなご親切なことをとたまに思うぜ。
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