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The unknown disaster of a collapsing cross
メイプルストーリー、楓サーバーのパラディンのプレイ記、ではない。アラド戦記関連(分館)もあるよ。
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Venom of Ego
人が自分以外の他人と話すときにどんなことを心に抱いて話すか。それについては各人の心の中にのみ答えがあるというのは一片の事実ともいえるが、同時にその答えを各人が知り得ることが真に出来るのか、という問題を無視するわけにはいかない。
仮に一人の人間が別のある人間と会話を為すとき、彼はどんな感情を得るだろうか。
これは無論、いかなる状況、いかなる内容、などなど諸々の事情を勘案しなければならない。
つまり、彼の機嫌や、進んで話をしたのか向こうから話しかけてきたのか、話している事柄が気乗りする中身なのか。そもそももしかしたら心ここにあらずという風で、リアルタイムの会話自体にはほとんど意識を割いていないかもしれない。
このように一言で会話と片付けるにはいかにも乱暴である。しかし、ここで扱いたいのは特定状況における会話を優先的に指し示すものではない。やはり乱暴な定義の仕方ではあるが、それを中心に据えて扱うにはあまりに持て余すことになるため、ここでは「一般的な『会話』」を仮定して話を進めたい。ただし、話し手と受け手の両方の『一般』が共通している必要があり、またこの点についても一致を見るのはなまなかなことではないという問題点があるのだが、まず一旦無視させて頂く。


会話をするときにどんな感情を得るのかなどと先程記述したが、当然ながら感情というのは喜怒哀楽という性質の一面性で枠に収められるものではない。
その感情が何を対象とするのかというのが大きな要素となりうる。
この場合に対象とは多くの場合は相手となる、と私には捉えられている。
これはすなわち意識的に、もしくは無意識的に相手を自己と同格に近い存在として捉えている可能性を示唆していると考えられる。
木石に対して巨大な感情を迸らせるというのはやはりあまり聞く話ではない。逆に犬猫など自身の性質や自身の生活と近い対象に対してはその共感から深い感情を持つのである。
大多数の人間にとってその究極的な共感の対象は人間、しかし自己への共感はあくまでも閉じた輪であり、発露を伴うものとは考えづらいため、基本的にはこの人間とはすなわち他人であると考える。


そこで、他人との会話において、その感情の対象が相手に向いていない例を想定してみよう。つまりその対象が自身であるか、もしくはそれ以外の第三者に向いているかということである。
後者の例は第三者の存在を明らかにしなければ論にならないため省略するが、前者の例の場合、会話においてどのような効果が発揮されているのか。
感情が相手に向けられている場合はその喜怒哀楽が会話によって生成し、そして放出されていることになる。感情が自己に向けられている場合、やはり喜怒哀楽が生成するが、あくまでもそれは自己の中で回転されるということである。
ここで、会話→自分→感情→放出の流れは会話を起因としてある種のフィードバックが行われていると捉えられるが、会話→自分→感情→回転の流れは一種非生産的な意味合いを伴っているものであると受け止められる。
この状態において他人とはすなわち自己の感情を生成するための装置であり、化学反応の媒介にすぎないという見方も出来る。同格ではなく、意識的に、もしくは無意識的に下に見ているということであろうか。
通常の会話は生成と放出を相互に繰り返し、無限の化学反応を起こす場となる可能性を秘めているが、先程の例の場合は化学反応の連鎖はあくまでも表面的で見かけだけのものであり、具体的な価値を持っているわけではない、どちらかといえば無為に近い性質を持つともいえる。
が、しかし、例え閉鎖的な円環であろうとも、自己の中で一種の化学反応を起こすことが出来ているならば、むしろそれは充分に有益な事実であると言うことも可能である。
この反駁に対し決定的な反論をすることは出来ないが、だが円環の中では反応は限定的なものとなり、連鎖による未知数の結果を手にすることは出来ない。それは単調な変化の基盤となり、腐食の一端となりうる要因である。相対的な意味において、劣っていると見るのはそこまで難しいことではない。
しかしそれでも、この円環の構造は基盤そのものを形づくる一種のシステムであり、このシステムの変革は容易に叶えることが出来るものではない。無理は無理であり、同時に変革を試した場合にそれがいかなり変化を引き起こすかは決まりきった事柄ではない。場合によっては、悪性を生み出す結果ともなる。
だが、他人の価値が同格であるのが社会の根本意識として確固に存在する以上、他人の存在を軽んじたり、卑下することは毒となりうる。それ自身が悪性であり、邪とまでは言わずとも『腐った林檎』と見做せるだろう。




書いててこんがらがって来たし疲れたので終わり。


コメ返
>>聖徳
滅茶苦茶案の定であることに、年を軽く越した。
アニメは色々種類を網羅したいというのが本音だが、何だかんだで見逃しちゃうんだよなぁ。そんな風で冬は全然だったり。
取り敢えず春はジョジョを見るか。またそのうち。
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コメント
この記事へのコメント
徘徊周期と更新周期がほぼ一緒な不思議☆
こういう長文系を見るとああ、フィルゼアだなあって納得しちゃうパターン
しかし文系のお偉いさんの論文みたいなのってこういう書き方だよね
2014/03/06(木) 16:30:47 | URL | 聖徳 #-[ 編集]
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